どうするトライアスロン第6回「どうするスポーツイベント②」

どうするトライアスロン第6回「どうするスポーツイベント②」

トライアーティストの竹内鉄平です。
前回に引き続き、「どうするスポーツイベント」その②になります。

東京オリンピックが開かれるはずだった2020年、新型コロナウイルス感染症により、世界は混乱の渦に堕とされていくことになる。

コロナ禍は、スポーツイベント業界にどのような影響を与えのたか?また将来はどうなっていくのか?

3年ぶりの開催となった2022年の伊勢志摩・里海トライアスロン大会

今回は、市民参加型スポーツイベント業界の「今」に迫ります。それはスポーツ事業に関わるものとして、決して目をそらしてはいけないコロナ禍の総括でもあります。

エントリーが集まらない?

2020年からのこの3年間のコロナ騒動により、多くのスポーツイベントは中止・延期を余儀なくされ、大会運営者は、経済的な意味も含めて、気力・体力を奪われていきました。

実際弊社も売り上げは半減。ギリギリまで開催できると信じて準備してきた大会を、土壇場で中止にせざるをえなかったときの落胆といったら言葉では表せられなかったです。

そして、現在、トライアスロンに限らず、マラソン、トレイルランはじめとする多くの市民参加型のスポーツイベントで、コロナ前ほどエントリーが集まらず、定員割れを起こすという状況になっています。

コロナは終息したにも関わらずなぜエントリー数が戻ってこないのか?
そこにはいくつかの理由が存在すると自分は考えます。

理由の一つ目は、物価高と、それに伴うエントリー費の高騰により、趣味に使える余剰金が減少、エントリー数を減らさざるを得ない状況にあるということです。

もちろん富裕層については、さほど影響を受けていないと思われますが、中間層の貧困化が進んでいるのです。

大変ショッキングな話ですが、要は日本人が貧しくなっているのです。これは自分自身の現状、実感としてもあります。この問題については、また別の機会に論じたいと思います。

そして理由の二つ目、こちらの方がより大きな問題だと思いますが、「スポーツ自体」へ、社会からの風当たりが強まったこと。

それにより、愛好家のスポーツへの向き合い方が、コロナ以前と比べて意識的にも、無意識的にも変化したことが原因だと自分は考えます。

スポーツは不要不急か?

スポーツの真の価値を知る多くの愛好家にとって、スポーツはライフスタイル(日常)の一部であり、イベントに参加することは、非日常を体感できる貴重な機会のはずでした。

それが、コロナ禍において、スポーツは不要不急と断じられたことにより、自分たちが愛好してきたスポーツは、社会からそんな目で見られているのだと大きなショックを受けました。

コロナ禍において、SNSにスポーツを楽しむ姿をアップすることさえ、非難の対象となり、憚られたことは、ある意味一種のトラウマを私たちスポーツ愛好家に植え付けたといえるでしょう。

「流石にコロナも5類になったし、今はもうそんなことはないでしょ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、東京五輪を目指してきたトップアスリートが相当なバッシングを受けていたのは記憶にあるかと思います。

トップアスリートでさえ、耐えられないほどのバッシングを受けていたということは、スポーツで生計を立てている訳ではないけれども、スポーツがライフスタイル化している愛好家にとっては、非常にキツイ3年間だったんです。

結果的に、コロナに打ち克つためには、ワクチンや特効薬などではなく、身体を動かして健康を維持して免疫力を高めておくことが一番の対策でした。

その機会を奪われるだけではなく、スポーツにそんなに価値があることなのか?と社会から突き付けられた経験は、大きな影を落としたのです。

なぜここまでコロナ禍において、社会はスポーツを、そしてスポーツ愛好家を叩いたのでしょうか?

社会の分断と、揺らぐスポーツの価値

そもそも日本では西欧に比べて、社会に出た後に、スポーツを継続的にする人が圧倒的に少ないのです。そこには、日本社会独特の風潮、「スポーツは体育の一環」「スポーツは学生時代まで」「社会にでたら仕事が最優先」という暗黙の了解があります。

また日本人の変化を嫌う生真面目な気質は、一度決められたルールを守るにはよいのですが、一度決められたルールから逸脱することを極端に恐れます。マスクを外せなくなってしまったのもその現れですね。

体育会系、文化系というというラベリング。社会人になってもスポーツを楽しむ人に対しての風当たりの強さ。もともと日本社会において、スポーツを「する人」と「せざる人」の間にできていた溝はありました。

本当はみんな人間の本能として、身体を動かして汗を流したい。ただ、環境がそれを許さない。だからこそ、スポーツを楽しんでいる人を見ると、妬ましく感じてしまう。コロナ禍によって、その溝は更に深まり、社会の分断が起きました。

その結果、スポーツ愛好家の自意識の中でも、「果たしてスポーツに時間とお金をかけてよいのだろうか?」と「スポーツの価値」が揺らいでしまったのです。

実際に離れてしまった人も多かったことでしょう。一度スポーツから離れてしまうと、そこに再び戻るにはより大きなエネルギーが必要となります。

スポーツ業界が直面する現実

もちろん、人々の意識は徐々に変わってくると思いますが、コロナ禍を乗り切るために借入金をし、何とかこの地獄の3年間を耐え忍んだスポーツ我々スポーツイベント事業者としては、「今」エントリーが集まらないのは死活問題です。

そして、その先には、競技人口が先細り、マーケットは縮小、スポーツ業界全体が衰退していく未来が見えています。もちろん競技人口が減れば、トップ選手を支えることもできなくなります。

一方で、化けの皮が剝がれた汚職談合五輪のような一部の企業や政治家、広告代理店が癒着・暗躍し、公金(税金)を掠め取るようなスポーツビジネススキームは、国民感情としてもう許されません。それも我々愛好家の手からスポーツを奪い取り、衰退させた大きな要因だからです。

内容的にはかなりショッキングな話で、受け入れがたい方もみえるかもしれません。スポーツ業界に携わるものとしては、現実は非常に厳しく、思い詰めてしまうと、正直闇落ちしてしまいそうです。自分もここまで咀嚼するには時間がかかりました。

しかし、現実から目をそらしてはいけません。
上澄みをすくったとしても、根本の解決にはなりません。
いったんは堕ちるところまで堕ち、暗闇の中で見つけた光が最後の希望になります。

次回は、自分たちの手にスポーツを取り戻すため、今、自分たちに何ができるか?を考えてみる「スポーツの将来」の話です。