人生を紡ぐ。

人生を紡ぐ。

いつも応援して下さる皆様ありがとうございます。
前回の投稿(中国ブロック選手権予選)は下記URLからご覧いただけます。
是非、こちらもよろしくお願いします!
https://blog.triartist.co.jp/2023/05/27/post-1581/

ご存じの方も多いと思いますが、先日行われた中国ブロック予選会(国体兼日本選手権)におきまして、優勝し、鹿児島国体・日本選手権(初)の出場が決定致しました。

国体は去年に続き2回目。日本選手権は3年越しの出場となります。
今回はその日本選手権出場に賭ける想いと今日までの日々について綴りたいと思います。
少々長くなるかもしれませんが、少しでも多くの方に私の想いが届き、大舞台を一緒に戦って頂けると幸いです。

父との別れ

今から2年半前の2021年1月。
突然の訃報。父が52歳で逝去しました。あまりにも突然でした。

仕事(当時は高校の保健体育非常勤講師)から帰宅後、母から知らされて現実なんだ、、、と。

私が小学2年生の時に単身赴任で関東に移住して以降、一緒に暮らすことはなく、父は関東地方を転々と。亡くなったのも茨城の自宅だったそうです。
亡くなってから糖尿病だったとは聞きましたが、それ以外の病気は患っておらず、死因は致死性不整脈でした。

父はバリバリのスポーツマンで学生時代は水球に打ち込み、国体・インターハイで優勝経験もあるという本当に血が繋がっているのかと疑うくらい万能な父でした。(現:チームエフォーツ小原工コーチの2つ?後輩として一緒に練習していたと聞いています。)


毎年誕生日には必ず電話かメッセージもくれました。
会える機会も少なく、会話も多くはありませんでしたが、離れてても競泳もトライアスロンも心から応援してくれました。
トライアスロンをやっている姿は一度も見せることができなかったので、それは心残りですが。


父のために。母のために。家族のために。自分のために。誰かのために。
もっともっとやるべきことがある。
「今」のこの”時間” ”命”を大切に。気持ちを強く持って生きていこう。そう誓いました。

濃厚接触者により欠場


コロナ禍ということで中国ブロック予選会は行われませんでしたが、その年の日本選手権出場権利を獲得。
希望制+中国ブロック選考委員による協議を得て、2021年宮崎(東京オリンピックの関係で2021はお台場→宮崎に)で行われる日本選手権出場が決まったのです。
他に希望してくる選手がいなかったので私の選出も実力というよりはラッキーで得たもの。
それでも出場できることには変わりはない!と思い練習する日々。
正直かなり調子も良くて大袈裟ではなく、あわよくば初出場で入賞も!なんて。自分自身が楽しみで仕方ありませんでした。


だが、宮崎へ出発する2日前。事前のPCR検査(当時、同行者と選手にはPCR検査が必須)により、同行予定であった母のコロナ陽性が発覚。母は無症状で発熱もなく全くもってコロナの症状はない。偽陽性だろうと翌日も近くの病院で検査をしたが、やはり陽性との診断。
私は濃厚接触者として判断され、本当に出発の直前で日本選手権出場の道は途絶えました。
すぐには受け入れることができず鉄平さん・久美さんの前で涙を流したことも鮮明に覚えています。
鉄平さんは何度も担当者の方と話をしてくれて、どうにか選手である私だけでも(私自身は陰性でしたので)出場できないかと交渉して頂きましたが、前例ができてしまうのは今後に影響するとのことで判断が覆ることはありませんでした。
久美さんも一緒に悔しがって、しばらく気にかけて下さり、今でもそうですが、お二人の存在があってこそ私は私のままで競技に打ち込むことができています。


競泳では出場が叶わなかった日本選手権。
亡き父に見てほしかった日本選手権。
競技は違えどいつかはあの舞台に。

そう思っていたので悔しさというか、なんというか。事実を受け入れるまで時間がかかりましたし、しばらくは何をする気力も沸いてきませんでした。


そんな意気消沈している私は試合への出場は考えていませんでしたが、鉄平さんの後押しもあり、2021年12月の『日本デュアスロン選手権』(第1ラン5㎞+バイク20㎞+第2ラン2.5㎞)に出場。
名立たるメンバーの中、6位に。今でも夢だと思っているぐらい実感湧いていませんが、次は”トライアスロンで入賞を!”そう思わせてくれるレースになりました。

日本デュアスロン選手権|公益社団法人日本トライアスロン連合 JTU

新たな出会いと決意


翌年の2022。
家庭の事情からトライアスロン中心の生活も厳しくなり、安定して稼げる仕事を探さないといけないな~と。

実際にアルバイトを掛け持ちしたり、ハローワークに足を運び転職を考えていました。

そんな中、貴重なご縁を頂いて、昨年3月を最後に大学卒業後から3年間続けた高校の非常勤講師を辞め、「ホーメックス株式会社」(エムズカンパニー出向)へ入社。
ずっと憧れて夢みてきた教員の道を離れ、競技と仕事が両立できる環境に身を置くことを選択しました。

2022年4月より
「ホーメックス株式会社」様
「トライアーティスト株式会社」様
最強の布陣で、気持ち新たに競技人生の再スタート!!   


のはずでしたが、入社早々練習中に重度の捻挫。
コロナも徐々に緩和傾向にあり、試合も開催されるようになっているにも関わらず、怪我で何もできない。練習も満足にできない。みんなが練習している姿を見ていることしかできませんでした。
そんな日々がもどかしくて悔しくて。我慢の時間ばかり、、。こんなに悔しいものかと、、。

なんとかブロック予選(6月)には不安はありつつも走れる状態まで回復。
ブロックの1枠を獲得できた。
しかし、日本選手権出場には各地方で行われる認定記録会において(400Mswim:5分06秒13、3000Mrun:10分46秒07)スイム・ランともに15級以上が必要。(今年から選考基準改定によりスイム・ランの合計タイムで20級以上)
捻挫完治後も怪我が相次ぎ、結局ランで15級まで3秒足りず。
昨年もお台場で走ることは叶わず。



この2年本当にいろんなことがありました。
自分自身を諦めそうになったことも何度もあります。
でも、周りの方が諦めないでいてくれた。
それだけで幸せでしたし、また次に向かって進むことができました。

有難いことにサポート企業様もつき、
トライアスロンを始めてからは想像もつかないくらい恵まれた環境で競技に打ち込めています。


日本選手権が全てではないし、出場できたからといって何かが大きく変わるわけでもありません。

でも、私は日本選手権に。お台場に必ず。
2年前の自分との約束を果たすために東京を目指してきました。
出場できなかった責任を母がずっと背負わないように。
父に日本一大きな舞台で戦う姿を見てもらえるように。
今まで手を差し伸べてくれた沢山の方に喜んでもらえるように。


まだまだレベルの高い選手はいっぱいいますし、どこまで通用するかは分かりません。

ですが、私の可能性を信じて応援して下さる皆さんに精一杯の感謝を届けられるように。
どんなレースもどんなときも変わらず最善の準備をしていきます。



引き続き、山田梓をよろしくお願いします!