トライアーティスト新入社員の田中美沙樹です。

トライアーティスト新入社員の田中美沙樹です。

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こんにちは。今回トライアーティストに入社しました田中美沙樹です。みなさんに自分のことを知ってもらいたくプロフィールを書きました。

好奇心旺盛で体を動かすことが大好き!

体を動かすことが大好きな私は体育が一番得意でした。小学3生生のとき唯一できない種目がありました。それは「水泳」です。今までどの種目もクリアしてきたが全くできない種目に出会い悔しい思いをしたのは初めてでした。25m泳げず夏休み補習に行くのが嫌で、スイミングスクールの短期教室に通い始めました。小学5年生くらいで育成クラス、6年生で選手クラスにまで上がりました。

高学年から学校で部活動が始まります。兄の影響でバスケ部に入り5.6年生では前期陸上部で高跳び、後期バスケ部での活動をスイミングに通いながら続けていました。全部負けたくない気持ちが強くどれも妥協はしませんでした。その結果、市内小中陸上大会2連覇、バスケ部副キャプテン、水泳全国大会出場といった成績を収めました。

陸上もバスケも水泳もどれも続けたかったのですが、中学校ではメインで頑張っていた水泳のために陸上部に入り長距離で体力作りをしていました。すると、陸上は県駅伝や大会での入賞、水泳では東海大会出場の成績を収めるまでに成長しました。

このように好奇心旺盛な私は他にも、ダンスにピアノに琴、勉強塾や習字も習っていました。

トライアスロンをやろうと思ったきっかけ

高校もまた陸上部か水泳部かで迷い悩んだ末に水泳の道を選び名古屋の私立高校に入学しました。そこで出会ったのが今もトライアスロンで活躍する同級生でした。その子からたくさんの話を聞くにつれトライアスロンへの興味がどんどん増していき、その時から大学でトライアスロンをすると決めていたのです。

一番私を引き付けたのは、今までやってきた2種目が含まれていたのに加え、1つの競技で3種目もできるお得感にそそられました。なので、この3年間は競泳人生に区切りをつけるためにも水泳にしっかり打ち込みました。毎日始発で朝練に通い2部練で泳ぐ距離は1日トータル10000mくらいでした。思うような結果が出せず苦しんだ3年間でしたが最後の県大会でベストを更新し引退を迎えることができました。

大学選択

大学で保育士の免許を取ろうか体育の免許を取ろうか迷うよりも、1番にトライアスロンがやりたい気持ちが勝ちトライアスロン部のある大学を探しました。そして、学校紹介できていた日本福祉大学の水泳部(トライアスロン部門)の話を聞きました。家からも近く自分の時間(練習時間)が取れることからこの大学に決めスポーツ推薦枠で入学しました。

トライアスロンを始めて

水泳と陸上は経験していたもののトライアスロンは全くゼロからのスタートでしたが、自分が挑戦したかった競技だったので楽しみが強くワクワクでした。でも、そう簡単には上手くいきませんでした。

3種目もあるためグッと練習量が増え怪我や故障など苦しい壁にぶち当たり、今までにしたことのない辛さを体験しました。また、どんどん伸びて結果を出せるかもと思い描いていた想像には遥かに遠くトップ選手たちとの差を感じさせられました。トップに混ざって戦うには楽しむだけではなく、基礎やスキルはもちろん、頭を使って戦略を立てたり試行錯誤が必要でした。始めた頃の挑戦したいという気持ちから徐々に上を目指すようになり本気で取り組んでいきました。

3年目にして出場した選手権では無念のDNF。あの時の悔し涙とリベンジを誓ったことは忘れもしません。学生最後のシーズンはコロナの影響もありレースもなくなる中で思うような練習もできない部分もありつつも、逆にいつもと違う環境に置かれた事でたくさん学ぶことがありました。これらの経験を乗り越えてこれたからこそ4年目で好成績を残せたのだと思います。

たくさんの感謝

何も分からない状態の私を本気にさせてくれたのは、周りのみなさんの支えがあったからこそだと思っています。考えてみると、指導してくださるコーチや先生、先輩、切磋琢磨して一緒に頑張ってきた同期や仲間、学外のトライアスリート界のレジェンドたち、そして、トライアスロンをやらせてくれた家族。みなさんの応援やサポートがあって今の私があるのだと感じました。たくさんの方に恵まれた環境で戦い続けた4年間はとても充実したものになりました。

この想いを忘れることなく感謝しながら新たな夢に向かってこれからも成長し続け、前に進んでいきたいと思っています。

ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。